June 2017

Author

  • フロリアン ブッシュ

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英語, 日本語

東京オリンピック・オデッセイ

数日前に起こった出来事が未だ不可解でならない。その日、我々のオフィスに小包が一つ届いた。小ぶりの本体には不釣り合いな、大ぶりのQRコードが貼り付けられたこの小さなブラックボックスは、その外見のせいか、郵便戸棚の「アプリケーション」のセクションに分類されていた。しばらくしてスタッフの一人が奇妙なことに気づいた。小包の消印が「2020年12月22日」となっていたのだ。それで、スタッフたちが次々に箱の周りに集まってきて、皆で頭をかしげることとなった。なぜこんな間違いが起こったのだろう?代わる代わる箱の裏表、右左をひっくり返し、6つの側面を全て精査してみたものの、「本物の」日付らしきものは見当たらない。我々は怖いもの見たさで注意深く小包を開封してみることにした。箱の中からは、模型・写真・記事の切り抜きなどが入った緩衝材で包まれた箱のほか、箱の上に貼り付けられた3枚綴りの文章が出てきた。以下にその内容を引用する(間違いは全て我々に帰するものとする)。

水面に浮かぶ国立競技場

新国立競技場のための当初建築案が幾つも破棄されるという恥ずべき状況から一転、東京2020オリンピックはあたかもハッピーエンド1 に終わるかに見えた。
2020年7月、新国立競技場という名の「船」が、お台場のレインボーブリッジの袂に錨を降ろし、東京が新たのオリンピックスピリットの旗手として立ち上がった。このスタジアムはこれまでの「無用の長物」の生まれ変わりではない。とんでもなく時代錯誤的な、前回大会を超えたい一心の過熱競争2 に終止符を打ち、オリンピックという概念全体を高揚させる起爆剤となることで、東京都はこのスタジアムを持って他の招致都市と一線を画すことに成功した。水上スタジアムは、東京オリンピック閉会から数十年間、次の開催地を目指しながら世界中を遊覧するというのだ。

成功物語

この予想外の建築案は、「水上に浮かぶ構造は スポーツ競技場3 として相応しくない」との批判を瞬く間に反証しつつ、多くの人々の心を打つことに成功した。

  • オープンウォーターという地の利を生かした賢いデザインのお陰で、アスリートたちは水上で自然の涼をとりながら競技に勤しむことができることになった。真夏の東京という開催時期を強く主張した主催者側の無責任ぶり4 に批判が集まる中、アスリートたちの気持ちも東京から遠のきつつあったが、「海上で競技する」という魅力的な提案に、彼らの気持ちも再び東京に戻ってきた。
    *千駄ヶ谷の住人たちは、何年もの苦しみの後に思いもよらない贈り物を手にした気分だっただろう。旧国立競技場は時期尚早な解体の憂き目に晒され、新デザインの破棄後、救いようのない平凡5 な建築案が慌てて採用された。このため、千駄ヶ谷周辺は、バカでかい建築物に飲み込まれて肩身の狭い思いを余儀なくされるだろうと諦めかけた矢先のことだ。地域住民は、突然、街のど真ん中にポッカリと空いた跡地に、緑の憩いの場を手にすることになる。
  • ギリシャ神話のプロクルステスのような自業自得の悪循環6 に陥っていた日本オリンピック委員会の委員たちは、ついに脱出ポッドを手に入れた7 と胸をなでおろした。彼らは、この可動式スタジアムにより増大した柔軟性の偉大な潜在力8 を見逃さなかった。
  • 環境保護者たちにとって喜ばしかったのは、新国立競技場が貴重な明治記念館や神宮外苑の存続を脅かす存在ではなくなるばかりか、間もなく永遠の旅に出て二度と自分たちの頭を悩ますことはなくなることだった。たとえ短期間しかそこに存在しないとはいえ、構造の大部分が水面下に隠れているという事実は、最も深刻な懸念事項だった「高さ問題」9 についても完璧な解決策を提示するものだと思われた。しかし、新たなコンテクスト10 の中では「高さ」より「深さ」の方が適切な課題であることから、このような懸念はそもそも的外れだったとも言える。
  • 国や地方自治体の財政を憂う者は、膨大な市場性とそこから生まれる持続的収入に注目した。次期オリンピック開催までの4年間、スタジアムは世界巡業からの収入と開催地への売却益を稼ぎ出す見込みだ。
  • 世界各国の建築家にとっては、当初の建築案をこき下ろして最悪の事態を招いた建築家にとってさえ、目前の展開がオリンピック建築の将来11 を暗示する出来事であることは明らかであった。
  • 国際運営組織は、このシンプルかつラジカルなアイデアを、1896年クーベルタンによるオリンピック創設以来12 最も深刻な危機とも言えるここ数年の不振を脱する舵取り役、オリンピックの救世主として歓迎した。
  • オリンピックへの興味が薄れつつあるこの時代に、世界スポーツの祭典という概念自体の美しさが再び見直されるきっかけともなった。実際、オリンピック振興にとって、またスポーツ全般にとって、聖火のみならず競技場全体が世界を股にかけて駆け巡るというコンセプト以上に力強いメッセージがあっただろうか。

努力の結集

新国立競技場の建築計画と建設作業は、前代未聞の成果を収めた。何年も不振にあえいでいた造船業界は、国際的名誉である同プロジェクトで手腕を発揮できることに歓喜し、この熱狂にゼネコンも加わった。こうして新国立競技場建設の一大プロジェクトは国家総力を挙げて進行し、たった3年で「ラジカル」な13 アイデアを「リアル」な成功に変身させた。60余年前、同じ東京の地で民の心を掴み、世界を驚愕させたこの国が再びやってくれた。成熟した国がいかにして、新しい「分別と多感」の時代14 への道を切り開くのかということを世界に知らしめたのだ。

集団的嫉妬

東京オリンピックが大成功を収め、八方丸く収まったと思われた矢先、いざ出港の間際に、「海岸線から遠すぎて、水上競技場の受け入れが不可能」なために、「将来のオリンピック招致候補15 として資格失効を余儀なくされるかも」と焦った諸都市から猛反発を受け、この案は座礁に乗り上げることとなる。
閉会式からたった2日後(この間にスタジアムは錨を引き上げ、今季オリンピックの閉幕と来季開幕が同時に行われるという感傷的な雰囲気の中、出港の準備が進んでいた)には、世界中がスタジアムの未来について白熱した論議を繰り広げ始めたのだ。水上スタジアムはまたもやリンボーに追いやられた。東京ゲートブリッジのたもとで大晦日の大フィナーレを催した後、年明けの2021年の最初の月曜日にスタジアムは出港するという綿密な計画に従って東京都は準備に余念がなかった。しかし、水上競技場という性質ゆえ将来のオリンピック招致候補から外れてしまった妬み深い都市の猛反発に会い、良い解決策が見つかるまでこの計画は延期を余儀なくされたのだ。

その間もスタジアムは東京湾及び河口のクルーズや各種イベントから安定的な収益を生み出していた。しかしグランドフィナーレの2ヶ月前、11月のある霧深い朝、スタジアムは忽然と姿を消した。当初は、東京湾内の次のイベントに向けてやや予定を早めて移動開始したのだろうと思われていた。しかしその数時間後、水上スタジアムは「行方不明」と公表された。このニュースは瞬く間に広がった。初期の噂の中で最も取り沙汰された二つの説はこうである。まず一つ目は、妬み深い都市が集団でスタジアムを盗んだという憶測だった。ハイジャックの規模からみて、発見はほぼ不可能と予測された。もう一つの、まったく不自然とは言い切れない説は、反発の波が収まるまでの予防策として、当局が早々とスタジアムを封鎖し、海底へ繋ぎ止めてしまったのだろうというものだった。民間のダイバーよって多くの捜索グループが組成されたものの、安全上の問題を理由にこうした捜索計画は実行を阻止された。そのような動きは、スタジアムは海底に潜んでいるという憶測の信憑性を高めるばかりだった。

同文書は宛先こそ特定されてはいなかったものの、オリジナルの中身の性質から(手書きで書き込みが付けられた写真や記事、模型など)、不特定多数に向けて発送されたものでないことは明らかだった。思うにこれは、さほど遠くない将来、現時点で我々が信じこまされている事態より、もっと単純でまともな未来図があるのだという楽観的予想図を世間に知らしめるために何者かが送りつけたものではないだろうか。
2017年6月東京にてFBA
翻訳:山尾暢子 - Translated from English by Nobuko Yamao Arvanitis

  1. オリンピック招致都市としての東京都の地位確保を補助すべく国立競技場のデザインを担当する建築家を発掘するためのコンペが行われたが、2年後には胡散臭い形でその建築案が破棄された。こうした経緯を見て、世界中の建築家たちは、コンペの要項を鵜呑みにしているととんでも無いとばっちりを受けることがあるという重要な事実に気づいた。当初のコンペ要項が大袈裟でいびつな内容だったことが、それに続く惨事の元凶だったというのが広く知れ渡ったコンセンサスだ。しかし、「自分たち建築家」が従順かつ盲目的な態度で、疑問を呈することを躊躇したためにこのような事態をおめおめと看過する結果になったという自省的な声も聞かれた。 ↩︎
  2. 当初のコンペ要項が、「ビジョン」に欠けるものだということはプログラムの大仰なウィッシュリストを見れば明らかだった。ここで、折衷主義の主催者たちは、明確な指針を示す大切な機会を無駄にし、「現在」とはかけ離れた、「未来」を無視した旧態然とした「過去の」要項、すなわち、世俗的権威をひけらかす壮図をまとめ上げた。失敗は日の目を見るより明らかだった。 ↩︎
  3. 「(水上建造物の)制御不能の揺れ」という最も取り沙汰された問題点こそが起爆剤となり、スタジアムのデザインは「過去」の予測可能な蓋然性から、さらにはコンテンポラリーなトレンドから遠ざかる形で未来へ前進することとなるーこの証拠はあらゆる分野の専門家によって、次々と提示されている。こうして、「スタジアムを水上へ移す」という前代未聞のアイデアが生まれた。 ↩︎
  4. 「分別」が金銭的利害に勝った1964年にはオリンピック開催時期は10月に設定された。しかし、次の東京オリンピックでは、各国テレビ放映などの時間割の都合を重視したメディアの圧力に屈した形で容赦ない時期設定となった。 ↩︎
  5. 当初のコンペ要項がオリンピックの収入源を搾取するための大掛かりな仕掛けだったのと同様、スタジアム(この建設はすでに始まっている)は近視眼的姿勢の証であるとともに、環境保護のための持続可能なデザインをという観点からは「不都合な真実」を隠す不恰好なイチジクの葉っぱのようなものだと言えよう。 ↩︎
  6. もちろん、他に多くの団体も関わったが、究極的には、被害者のサイズも寝場所もすでに合意済みだったのだ。彼らの常軌を逸した制御不能の野望を収容するには、この開催都市は小さすぎた。 ↩︎
  7. 主な懸念事項の一つである収容人数の問題には洒落た解決策が提示された。スタジアムの屋根は4階フロアに早変わりするだけでなく、橋げたや水際に建てられた簡易構造物へのドッキングを容易にするという利点があった。岸辺や橋、他の船や浮体構造物上に設置すべき簡易座席や追加設備などについても素晴らしいデザインが提示され、心配は多幸感に変わった。 ↩︎
  8. 既に技術進歩のショーケースだった同スタジアム(エネルギーは全て、太陽熱、風水力によって賄われる)だが、その建築素材の8割がリサイクル材であり、構造物自体がオリンピックが終わっても次期招致国にて再利用されるため、世界中の見捨てられた過去のオリンピック構造物とは一線を画するものとなった。 ↩︎
  9. 屋根部分のデザインは、スタジアムの建設に必要な水深のある世界中の港湾、河口及び河川にかかる橋という橋をくまなく調査したチームの実用的見解から生まれたものだった。船の型深さと、この船が潜ることのできる橋の数は反比例である。水面上の高さと吃水の深さを制限することで船の航行範囲は大きく広がる。1センチでも低く、浅くする努力が払われた結果、水面上に出ているスタジアムの高さは、1964年の第一回東京オリンピックを機に変更される以前の地上31メートルという制限と偶然にも同じ高さに収まった。 ↩︎
  10. コンテクストといえば、著名な建築理論家が賢明にもこう締めくくっている。「大多数のスタジアムと同様、このスタジアムは特定のコンテクスト(環境)を必要としなければ問題ともしていない。固定構造物であったスタジアムにとっては、その巨大さゆえに大事なはずのコンテクストを考慮する余裕がなかったのだが、水上スタジアムはドッキングした先のコンテクストに色を添えることが可能なばかりか、二日酔いになる前に宴を退散することが可能になった点で従来と異なっている。」と。 ↩︎
  11. スタジアムが錨を下ろしたレインボーブリッジのうえや、近隣に建てられた仮設設備から人々は眺め、称賛の声を挙げている。船舶、ボート、いかだ、その他様々な物体が水上に浮かび、それぞれがこのゲームの積極的参加者であることを喜び、東京湾を埋め尽くしている。新競技場は過去のオリンピックにおける権威と支配への盲信を背景に失われてしまった何かを取り戻したかに見える。万人にとって生き生きとした光景。歓喜、環境、エコロジー、開放、生命の自然なる融合の中に未来が顕在すべき場所。それがこの新スタジアムなのだ。 ↩︎
  12. 収入の分配が余りにも不公平であったために、「オリンピックの主催都市」は「財政難」と同義語になってしまった。そのためにオリンピック招致を望む都市数が減少し、近代オリンピックの終焉が来る、もしくは、オリンピックが名声を求めるお金持ちのプレイグラウンドに成り下がるのではという懸念が浮上していた。 ↩︎
  13. どうも、18ヶ月も前からこの建築案はあったらしい。つまり、眉唾の「第二弾コンペ」の受賞者が発表された後、つまり、第1弾コンペの受賞デザインが反故になってから5ヶ月後だ。デザインの蓋然性が証明され、財政上の懸念が解消された後(実際、この競技場はつぎの主催都市へ売却されれば莫大な収益を生み出す計算だ)に残った主な課題は、工期だった。建築案を二件も取り消しにしてしまった後で、さらなる間違いは許されない状況だったが、明々白々な成功により、主催者側が浴びてきた批判はすべて間違いだったことが証明された。 ↩︎
  14. 1964年のオリンピックに向けての数年、人々がゴールとしていたのは、日本が戦争の焼け跡から復興したのみならず、新幹線を始めとする技術革新を遂げた(スポーツの祭典にとっては関係のないことだが)ことを世界に知らしめることだった。2020年の場合はもっと肩の力が抜けた、成熟した方法で21世紀の問題に対する潜在的解決策を探ることがテーマだった。 ↩︎
  15. 2024年のオリンピック主催国が決定して以来耳にする議論だ。建設段階は初期だが、水上スタジアムというアイデアが後押しとなって、ある候補都市が有力になったことは否めない。 ↩︎